うどんの画像

連載全4回のうち第1回目

作成:讃匠 麺研究センター

美味しい麺作り、うどん作りには、欠かせない麺線カットの考え方【カット編】 

目次

美味しい麺を作るための最終工程が調整された麺生地を、食べやすい形状にするためのカット工程なのです。
麺生地を食べやすい形状にする為には、麺生地をカットする方法以外に、手延べそうめん、手延べラーメンの様に、 麺生地を徐々に、細く細く引き伸ばす方法があります。 うどんであれば、氷見うどんや稲庭うどん、鴨川手延べうどんもこの製法で作られており、 これらの手延べ方式の麺の特徴は、金属で例えれば、ピアノ線の様に細くても非常に麺生地の繊維が一方向に並んでいて、 非常に強靭な組織になっているのが特徴です。
従って、食感も独特の硬さのある食感が特徴で、これらも人気のある麺として、市場で成功を収めているのです。 それ以外に麺生地を刃物でカットしないで麺線にする製法は、金属の細い穴から麺生地を押し出す韓国冷麺やスパゲッテイのような押出製法があります。
韓国冷麺やスパゲッテイにしても、独特の食感の麺になっており、1つの麺文化を形成しているのです。
この様に、麺の製法の最終工程である 独特の食感を創り出す成型の1つがカットを含む麺の成型方法なのです。

1.ロッキー藤井の麺のカット方法の考察

今回のテーマ「麺のカット技術」は、製麺の最終工程「カット」の技術の差により、さまざまな食感の差を生み出すことが出来るということを説明します。
ほぼ半世紀にわたり、美味しい麺の製法に携わってきて、 いかにテクノロジーの進化が麺の美味しさの進化を支えてきたのかを見てきました。
美味しい麺を作るためには、まず、麺生地作りがしっかりしていないとできません。
その麺生地を作る元になっているのが、小麦粉の製粉技術です。 我々は、水車製粉の時代を経て、製粉技術の進化のお陰で、価格の安い小麦粉を世界中から入手出来、 更に、製麺技術を支えるさまざまな製麺機の技術革新により、比較的安価に高い生産性で麺作りが出来るようになりました。 麺は、小麦粉を練り、鍛えて麺生地を作ります。 うどん等は、その麺生地を薄く延ばして、板状の麺生地にした後、包丁で一本、一本麺線にカットするか、 或いはスリッターのような切り刃で麺線にします。

ところが、刀削麺はそのような麺生地を薄く板状に圧延しないで、麺生地をまな板のような木の板の上に張り付けて、 変形したナイフのような刃物で、麺生地の表面を一定の厚さ・幅で削いでいき、 沸騰している釜の中に麺を直接、落としていきます。
刀削麺は、うどんのような麺生地の表面を麺棒やロールで圧延した麺生地とは全く異なり、 麺線の表面が圧延されていないために、表面が皮の様になっておらず、麺生地の中身がそのまま 麺線の表面になっているので、湯の通り非常に良く、茹で上がりが非常に速いのが特徴です。
食感もナイフで削いで麺線にしているので、独特の食感があり、麺の表面が削られたカット面になるため、出汁の乗りも非常に良いのです。

うどん店でうどんを提供する場合の一番大きな課題は、茹で時間の長いことです。通常、うどんの茹で時間が10分以上ですが、 刀削麺の場合は、ある程度太くても2~3分で茹で上がるので、ラーメンとほとんど変わりません。
茹で時間が短いので作業性も良く、洗い水も要らないので、これをもっと生産性が上がるような仕組みにすれば、 麺ビジネスの1つのジャンルになれる可能性があります。
この様に、われわれハードの提供に携わる者の重要なテーマの1つとして、 新しい食文化を創り出すことに大きな貢献が出来ることなのです。

2. うどんの歴史を再度ひも解いてみると

日本のうどんの歴史は、美味しさの追求と食べやすさの追求の歴史はであり、 うどん文化そのものの進化と深く関わっています。 これは、単なるうどんだけでもなく、麺料理だけでもなく、全ての食べ物に共通する進化の歴史でもあります。

① うどんの起源と初期の形態

うどんの起源は奈良時代(西暦710年~794年)に遡ります。 うどんの進化には、1300年~1200年前の長い時間の経過がありました。 当初、中国から伝わった「索餅(さくへい)」や 「餺飥(ほうとう)」という小麦を使った料理がルーツとされています。 ただし、この頃の「うどん」は現在のような柔らかい麺ではなく、 団子や太い麺のようなものだったとされています。 食べやすさの点では、現在のように簡単に噛み切れる麺状のものではなく、 かなり手間がかかる形状でした。

②平安時代~室町時代:麺状への変化

平安時代以降、小麦を伸ばして切る技術が発達し、 現在のような麺線状のうどんが登場しました。 特に室町時代には「切麺(きりめん)」という名前で食されており、 これが現代のうどんの原型とされています。 麺状にすることで、噛み切りやすく、 汁と一緒に啜るという現代的な食べ方が浸透し始め、食べやすさが向上しました。 しかし、この時代にはまだ出汁文化がなく、出汁と一緒に美味しく食べられる様になったのは江戸時代で、長期の進化の過程が必要だったのです。

③江戸時代:つゆ文化の確立と啜り文化

江戸時代には、だし文化が大いに発展し、 うどんに合わせる「つゆ」の味付けが洗練されました。 そもそも白だしを作る材料から違い、 さらに使用する調味料にも違いがあります。 関東では濃口醤油、関西では薄口醤油を使ったつゆが主流となりました。 この時代に、麺を啜るという日本独特の食文化が一般化しました。 麺の長さや柔らかさもこの習慣に合わせて調整され、食べやすさがさらに改良されました。 江戸時代には、さぬきうどんが発現しました。それは、雨の少ない讃岐地方で栽培されていた小麦、 塩、そして小豆島の醤油、更に観音寺沖の瀬戸内海で取れるいりこ(煮干し)と、 うどん作りに必要な材料が全て揃っていたためだったのです。 このように食文化は、その土地で取れる食材と共に発展、進化を遂げたのです。